大正の初め、曽祖父の家にロシアの方が同居していたそうです。そのロシアの方が、幼い祖父にピロシキを作って食べさせてくれていたらしいのです。その時代に日本で手に入る材料で作っておられた のでしょう。
祖父がおとなになり、子供の頃に食べたピロシキを懐かしみ、奥さん(祖母)に話したとか。祖母は、祖父の子供の頃の記憶を元に、見たことも味わったこともないピロシキを作ったんだそうです。その祖母の作ったピロシキを、お嫁に行った母が作り、私、そして子供たちにまで伝わっています。
100年位前に、とうとうロシアに帰ることはかなわなかったロシア人が、ふるさとを思い作ったピロシキが本当はどんな物だったのか、祖父も亡くなった今、知るすべもありませんが、我が家にしかない我が家の味となっています。そしてこれからもずっと伝わればおもしろいなと思っています。
そのピロシキのことを祖父は「ペロチキ」と言っていました。
おやつについて考えていると、幼いころの記憶の片隅にふと我が家には夜「8時のおやつ」なるものがあったことを思い出しました。
当時は「3時のおやつ」と同じように一般的なものだと思っていたのですが、ずいぶんと大きくなってからそうではないことに気づきました。
それ以来、誰も知らない「8時のおやつ」のことを話題にすることもなく、すっかり忘れていました。
おやつと言っても、現在のケーキ等のように洒落たものはなく、母が近くの市場で「ジュース用」の安いバナナを買ってきて牛乳と一緒にジュースにしてくれたり、パンの端を揚げて砂糖をまぶして揚げ菓子を作ってくれたり、今考えれば「8時のおやつ」と名前をつけるほどのものではなかったような気がしますが、我が家ではそう呼んでいました。
我が家にしかない夜「8時のおやつ」はささやかなものではありましたが、子供心にあたたかく親の愛情を感じることのできる特別なものだったように思います。
一緒に育った一歳違いの妹はこの「8時のおやつ」を覚えているでしょうか?
今度会った時に聞いてみたいと思います。
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