「21世紀の産業集積のあり方について」

-新製品開発とモノ作りのバランスした地域経済を目指して-


横浜市立大学商学部教授
吉川 智教 教授 講演要旨
2002年5月28日(火)広島商工会議所

●研究開発型ベンチャーがなぜ重要か

きょうは、21世紀の産業クラスターのあり方についてお話します。マーシャルは、今から100年前の英国で特定地域に特定産業がなぜ集積するのかという事を調査しました。例えばビートルズが出たリバプールには綿花市場があるし、その北部のランカスターには織物が発達していました。しかし、いまや世界最適調達という言葉どおり、一番安い所からモノを買うのが一番いいという事は、地域集積が分散していることなのです。これは物流、ITの発達によってもたらされています。そして、モノ作りの地域集積と新製品開発の地域集積はまったく論理が違うのです。

まず、モノ作りとそうでないもの違いをお話したいと思います。日本の生産システムはQCDと呼ばれ、ハイクオリティー・ローコスト・ショートデリバリー、この三つの基準でモノを作ることが、日本の大きなメリットなのです。これは欧米を調査しても、日本が一番優秀だとわかります。問題はモノ作りではなく実は違う側面だと理解することが、極めて重要です。それは何かと言いますと、新製品開発に特化したベンチャー企業です。これを研究開発型ベンチャーと呼びます。
研究開発型ベンチャー約50社を調査しま すと、80%の会社が物を作らず製品開発だけを行っています。こういう研究開発型ベンチャーが、5年10年と続いていることは、常に新製品開発に成功しているということです。新製品開発をいかにマーネージメントするのかが極めて重要です。

具体的にどうしたらいいのか、研究開発型ベンチャーの簡単な特徴を言いますと、技術と市場の組合せです。85%の企業が既存の技術で作っています。何を作っているのか。例えば天気情報、タンカーが東京港や横浜港に入る時、横風や波があったりすると船は岸壁にすぐぶつかるそうです。1回ぶつかると200万円くらい修理費がかかる。極めてローカルな例を言えば、3時20分の東京湾の風と波の情報が欲しい。基本的には気象庁が提供する情報をローカルな情報に加工する。技術としては既存の技術です。一方、市場は新しい分野です。必ずしも新技術ではない。
良い商品を出して売れますと短期間で似たような新商品が出まわります。いくら特許をとっても、他の技術を使って同じ様な物を出してきます。そうなると新製品の寿命は意外のほか短い。いくら俺の所でこれ作ったと言っても売れれば売れるほどもっと新しく良いものが出て来ます。だから連続的に新製品開発に成功しない研究開発型ベンチャーは必ず潰れます。

では、どうやって新製品を開発するのか、これは多くの方々が誤解している点です。新製品開発には、まず技術ありきではないのです。それはどういう事かと言うと、どういうものを作ったら売れるか必ずしもわからない商品が多いのです。どういうスペックのどういう仕様のものを作ったら売れるかがわからない。これがわかれば大儲け出来ます。研究開発型ベンチャーのイノベーションのモデルは、一つは差別化、あともう一つの条件がマーケットアビリティーズ=市場性がある、売れるという事です。ですから気を付けなければいけないのは、エンジニアだけが集まると非常に差別化されたユニークなものが出来ますが、市場性がないものを作る。大学と共同研究するような場合、大学の先生は売れるか売れないかは一切関係ないところで仕事を要注意です。

●研究開発はインタラクティブ型

最初の話に若干戻りますが、マーシャルは、なぜ同一産業の企業が一箇所に集積するのか調査しました。まず、その産業固有の労働者がいるから。第2番目の答えは、良い下請け会社があるから。第3番目にはその地域に行くと物作りも含めてその技術が伝播している、という答えをマーシャルは出しています。
しかし、モノ作りに関して地域集積はなくなりつつあるというのが、この10年くらいの事実だと思います。物流費用が減少する事でどんどんコストが安くなってくるために、特定地域に特定産業が集積しなくなったという指摘があちこちであると思います。にも関わらず、シリコンバレーではなぜ地域集積しているのかを少し考えておきたい。

まず、横浜にニッパツ(日本発条)という板バネとコイルバネを作っている会社があります。板バネはトラック用で、コイルバネは普通の自動車のバネです。日本で一番のシェアを持っているこの会社の社長が、今から10年位前にハイテク分野に進出したいと、ハードディスクドライブ用のバネを作り、シンガポールに売りに行きましたが、失敗して帰ってきました。シンガポールでは物を作っているけれど、製造を頼んでいる会社はシリコンバレーにあったのです。日本発条は、それから5~6年かけてシリコンバレーのサンノゼに出張所を作って、研究開発部門の一部を移しました。その後どうなったかと言いますと、今度作りたいハードディスクドライブの設計コンセプトを見せられて、試作品を持って来いと言われ、持っていった試作品を他の部分と合わせてチェックする。会社もそうですが、地域もモノ作りと研究開発が分業しているのです。モノ作りはシンガポールとか東南アジアで、研究開発はシリコンバレーでやっているということです。

日本発条が部品を売るためにシリコンバレーに進出したのはどういう事かと言いますと、デザインを考えて全体の設計のアイデアをもらう、作って持って行って乗せてみる。非常にインタラクティブに作っています。
なぜシリコンバレーに研究開発型のベンチャーが集積するのかということのひとつの結論は、ひとつは開発にスピードが必要だということです。スピードがあるという事は、開発が分業化していますから、インタラクティブでなくてはならないのです。つまりA社がこういうものを作りたいと言ったらB社はこうやる。そしてA社とB社ですり合わせをして開発すると、非常にインタラクティブで、集積するという事が言えます。

●燕・三条は用途開発で産業構造変化

そこで長期的な産業クラスター、例えば燕・三条が400年、シリコンバレーがなぜ60年続いているかを考えてみます。ここで必ずしも一緒にできない事は、シリコンバレーは製品開発で、燕・三条はモノ作りですからこの点は違うのですが、ただ長期的に産業集積がなぜ続いているのかは共通しています。

なぜこういう事を考えるかと言いますと、どうやったら新産業を創出できるのかは、日本の歴史を繙いて研究してみれば、わかってくるだろうと思います。集積だけに限って見ますと非常に面白いのは、例えば洋食器を作っている燕・三条があります。御存知のように、いまは洋食器の需要は下がっています。少し時代を遡って見ますと、関が原の戦いの頃から実は産業は集積しているのです。野鍛冶千人、鍛冶は何を作っていたのか。和釘、日本の釘を大量に作っていました。1600年頃ちょうど江戸に街が出来はじめて、和釘の需要があった。それからケンカと火事は江戸の花と言われていましたので、需要がありました。明治になって洋釘が大量に入ってきますと、和釘は全部だめになるのです。日本の 400年を見ますと、経済構造は大きく変わっています。まったく同じ様に燕・三条でも産業構造が変わっています。産業構造が時代に合わせて変わらないと、産業集積は400年も続かないです。これはまったくシリコンバレーでも同じで、この60年変わっているのです。そういう所を見ますと、今後の新しい産業集積がわかってくるかなと思います。

洋食器は、まずプレス加工し研磨されて出来ます。1970年代は1ドル=360円でしたが、いまは円が3倍です。人件費も6~7倍になっているという事は、国際競争はまったくなくなりました。それで最近の燕・三条は非常に元気がないのでですが、元気な企業5社ばかり調査したうちの2例を紹介します。
ひとつは、道路に設置してある大きな丸い反射鏡、カーブミラーです。これは昔はガラスで作られた鏡だったので、石を投げると割れたり、交通事故でも割れてしまうので危ない。燕・三条のあるメーカーはどうしたかと言いますと、研磨の技術を生かしてステンレスで鏡を作りました。これがいま非常に売れています。

もう1社は、ハンディキャップを持つ人用のスプーンの柄に形状記憶ポリマーを利用しています。このポリマーは独自に開発したものではなく三菱重工が開発したものです。ウレタン系の高分子で、55度以上の熱を加えますとかなり自由に曲がります。ですから熱を加えて持ちやすいように形を変えて、冷やすとオーダーメイドのスプーンが出来ます。
この2社の例から分かることは、既存のスプーンの技術、研磨の技術の蓄積に基づいて新しく用途開発をしていることです。また、燕・三条がなぜ洋食器を作り始めたのかを調べてみると非常に面白い。そもそも洋食器の前には、燕・三条では鍛金の技術でやかんや煙管などが作られていました。なぜ鍛金かと言うと、1688年に近に間瀬という所に銅山が開かれ、会津や江戸から鍛金術の職人を呼んで来て技術を習得しました。明治になってタバコやペン、万年筆が入って来ると全部だめになりました。そうすると鍛金の技術で何か出来ないかという事をずっと探しました。そこで第一次世界大戦が始まり、ロシアに洋食器を輸出していたドイツが輸出できなくなった。それでロシアから燕・三条に洋食器の注文がきたことが最初です。当時、燕・三条では鍛金とまったく同じ技術で銅を叩いて洋食器を作っていましたが、3~4年経って洋食器固有のプレスと研磨の技術を導入・蓄積したということです。

自分たちの産業がだんだんだめになり、需要もなくなってくると、必然的に自分達が持っている技術の特徴は一体何なのかを考える。私はこの10年間、年に50社くらいを調べました。「あなたの会社の技術は一体何ですか」という質問に、明確に答えられない会社はだめです。自分の得意な分野がわからない会社は、あまり進歩がありません。産業と言うのは長期的には必ずダメになりますから、生き残るには自分が持っている技術がどこにあるのかをまず知る事です。その既存技術の用途開発から始まるのです。そして、新しい分野に進出し、新製品を作る開発です。その次に新製品に必要な技術を導入するのです。

●空洞化は経済の必然

空洞化をどう考えたらいいのかとよく聞かれます。モノ作りが海外に移転する事を空洞化と多くの方が言っています。中国人の所得は日本の50分の1ですから、生産拠点は中国に移転してきます。自動車もどんどん海外で作られる。1980年代、シリコンバレーでは空洞化が非常に大きなテーマになっていました。メキシコにどんどん工場が移って行くと我々カリフォルニアは一体どうしたら良いのか、空洞化するじゃないかと大問題になっていましたが、昨年の夏、1カ月半ほどシリコンバレーで過ごしましたが、シリコンバレーでは空洞化は問題になっていない。空洞化は経済の必然性なのです。問題なのは移転したあと国内でする仕事がないことで、シリコンバレーではモノ作りではなく製品開発をやっています。これでどんどん仕事があるのです。

新製品開発は売れないと意味がないから、10倍くらいでも高く売れるような新製品をどうやって開発するかが極めて重要です。先日、日立市を調査しました。日立は言うまでもなく広島市よりももっと企業城下町の側面が強い町です。なぜいま日立が問題を抱えているのか。日立という会社自身が新製品開発に失敗しているのです。売れるような新製品開発が出ていません。そうすると回りの中小企業には受注が来ない。これが第一の問題点です。第二の問題点は、日立から仕事が来なくなった中小企業が他で仕事が出来るかどうか、自己の技術開発をしながら転換を出来る所は出来ています。方向転換をどうするのかというのが極めて重要です。第三番目には研究開発型ベンチャーが日立市に群生してない。日立市に研究開発型ベンチャーがどんどん出来ていれば、日立という大企業に頼らずともモノ作りが出来ます。この広島市とマツダについても同じことが言えるのではないかと思います。

●第三次産業革命

今は第三次産業革命だと言われています。その技術はIT、バイオ、ナノテクで、マイクロソフトを作った人たちはもう世界的な大富豪です。バイオとナノテクはこれからですが、問題はこの技術をもとにどういう産業の革命がおきるかが問うべき問題です。結論から言いますと、大企業ではなく研究開発型ベンチャーが主役になります。つまりモノ作りは重要ですが、もう付加価値はなくなって来ている。新製品開発に特化した研究開発型ベンチャーが主役になるということです。

企業の時価総額規模で日米を比較すると、10年前の住友銀行が99で、10年後が53です。半分に近いです。富士銀行は93が48、軒並み半分くらいになっています。すべて失敗しているかと言えば、そうではない。例えばトヨタは71が130と倍になっています。戦略の差がここでは見られます。ただベスト10の中に、ソニーのような研究開発型ベンチャーが入ってないでのです。アメリカを見ると、IBMの64が10年間で 214と3倍になっています。それからエクソンの54が193これも3~4倍になっています。大体アメリカの企業は10年間で2~3倍に価値を上げています。しかし、私が注目してほしいのは、例えばチップを作っているインテルです。シスコシステムズ、これもパソコンの部品を作っている。それからもう一つ、マイクロソフトの3社です。これらはすべて研究開発型ベンチャーです。もちろん部分的にはモノを作っていますが、新製品開発が主です。そして20年前にはなかった企業で、12~13年で急成長しました。こういうメカニズムが残念ながら日本には出来ていません。モノ作りは重要ですけれども、モノは海外でも生産出来ます。特別な技術がある所は空洞化しませんが、そうでなければどんどん空洞化します。この地域で何が出来るのか、大企業も新製品開発で成功しなくてはいけないし、研究開発型ベンチャー企業が周辺にたくさんあって、特殊な技術を持ったモノ作りをおこす事がこの地域に課せられた仕事だと私は思います。

(文責 事務局)

講演会一覧に戻る